臨済録も一遍上人語録も禅書に限らずダンテス・ダイジもクリシュナムルティも他の全ての道の書も同様に全て月を示す指である月とは真理の比喩であるつまり道の書とは真理への道標である指に固執して月を見失ふのは愚である指の形状や角度や色や長さを延々と論評して指し示す ...
カテゴリ: 臨済録
無為について
さて…前記事にて書きました「誠の神カカリ」=「惟神(かむながら)」=「無為」と云ふ考へ方の補足的な日月神示月光四十九『いつでも神かかれるように神かかってゐるように、神かかっていても、われにも他にも判らぬようになりて下されよ。鍬とる百性が己をわすれ、大地を ...
解脱についての私見
私見に過ぎないが涅槃だとかニルヴァーナだとか解脱だとか至福だとか此の世と離れた別次元のそれだけの世界があるわけではないだらう(そのやうに見える世界はあるのださうだが)此の世が仮で虚構だと云ふならば如何なる至福の神界だらうと其れが認識対象としての世界である ...
外に向って法無く内も亦た得べからず
臨済録 示衆一〇『 道流(どうる)、是れ你(なんじ)目前に用うる底は祖仏と別ならず。祇麼(ひたす)ら信ぜずして、便(すなわ)ち外に向って求む。錯(あやま)ること莫(なか)れ。外に向って法無く、内も亦た得べからず。 』適当に現代文にするならばかう云ふ感じか「君たちね…今 ...
前記事の補足解説的な
前記事にて臨済録より引用した『我れ亦た你が国王大臣たることを取らず』「私はあなたが国王や大臣であったとしても認めない」念のため書いて置きますがこれは国王や大臣そのものを否定してゐるわけではない否定も肯定もない「・」(道)においては国王だらうと大臣だらうと関 ...
臨済録から日月神示の「・」を考へる
臨済録 示衆十四『 大徳(だいとく)、錯(あやま)ること莫(なか)れ。我れ且(しばら)く你(なんじ)が経論を解することを取らず、我れ亦た你が国王大臣たることを取らず、我れ亦た你が弁の懸河(けんが)に似たることを取らず、我れ亦た你が聡明智慧を取らず、唯だ汝が真正の見解 ...