日月神示には以下のやうにある
地二十四
衣(ころも)はくるむものであるぞ、くるむとは、まつらふものぞ、
神の衣は人であるぞ、
汚(けが)れ破れた衣では神はいやざぞ。
衣は何でもよいと申すやうなものではないぞ、暑さ寒さ防げばよいと申す様な簡単なものではないぞ。
…
臣民 身魂洗濯して呉れとくどう申してあらうがな、この道理よく分りたか。
此処で云ふ「衣」を
前記事の「表面(うわべ)」とは考へないで欲しい
此処での「衣」は物質的身体のみを指すのでは無い
輪廻論者は
物質的身体を衣に譬へて
死を衣替えに譬へる事があるが
(其の譬へは適切だとは思ふが)
此処ではさう云ふ意味では無い
少し判り辛いかも知れないが
神の衣としての臣民とは臣民の全てである
人の身体だけを神が乗っ取るとか
霊魂に神が憑依するとか
さう云ふ話では無い
「神の衣は人であるぞ」とはつまり
真の神かかりを指すのだと思はれるが
これもまた判り辛い
日の出二十一
神かかってゐないと見える神カカリが誠の神カカリと申してあろが。
富士九
神かかりと直ぐ分かる神かかりではなく、腹の底にシックリと神鎮まってゐる臣民ぞ、
それが人間の誠の姿ぞ。
月光四十九
いつでも神かかれるように神かかってゐるように、神かかっていても、われにも他にも判らぬようになりて下されよ。
鍬(くわ)とる百性が己をわすれ、大地をわすれ、鍬をわすれてゐる境地が、まことのみたましづめであり、神かかりであるぞ。
そこらでなさる行も、それに到る一つの道ではあるが、それのみではならんぞ。
気つけ合ってよきに進んで下されよ。
これは恐らく一つの境地と云ふべきなのだらう
端的に云ふならば「無為自然」と云ふ事になるのではないかと思ってゐる
私らはどうも物質と精神を分割して考へがちであるやうで
其れが神示を判り辛くしてゐるのかもしれない
神示に於いて
天と地はアメツチとして一つである
身と魂も身魂として一つである
裏表ですら無く
全体を一つとして把握するのである
少し引用しておく
上十四
身魂とは神民の申す身魂でないぞ、
身たまとは身と魂と一つになってゐるもの云ふぞ、
…
身魂の洗濯とは心の洗濯とは、魂ばかりの洗濯でないぞ、よく気をつけて呉れ、
黒鉄二十二
自分で自分の心の中は中々につかめんものであらうがな。
…
掴むには身と魂と一つに和せねばならん。
地二十四
衣(ころも)はくるむものであるぞ、くるむとは、まつらふものぞ、
神の衣は人であるぞ、
汚(けが)れ破れた衣では神はいやざぞ。
衣は何でもよいと申すやうなものではないぞ、暑さ寒さ防げばよいと申す様な簡単なものではないぞ。
…
臣民 身魂洗濯して呉れとくどう申してあらうがな、この道理よく分りたか。
此処で云ふ「衣」を
前記事の「表面(うわべ)」とは考へないで欲しい
此処での「衣」は物質的身体のみを指すのでは無い
輪廻論者は
物質的身体を衣に譬へて
死を衣替えに譬へる事があるが
(其の譬へは適切だとは思ふが)
此処ではさう云ふ意味では無い
少し判り辛いかも知れないが
神の衣としての臣民とは臣民の全てである
人の身体だけを神が乗っ取るとか
霊魂に神が憑依するとか
さう云ふ話では無い
「神の衣は人であるぞ」とはつまり
真の神かかりを指すのだと思はれるが
これもまた判り辛い
日の出二十一
神かかってゐないと見える神カカリが誠の神カカリと申してあろが。
富士九
神かかりと直ぐ分かる神かかりではなく、腹の底にシックリと神鎮まってゐる臣民ぞ、
それが人間の誠の姿ぞ。
月光四十九
いつでも神かかれるように神かかってゐるように、神かかっていても、われにも他にも判らぬようになりて下されよ。
鍬(くわ)とる百性が己をわすれ、大地をわすれ、鍬をわすれてゐる境地が、まことのみたましづめであり、神かかりであるぞ。
そこらでなさる行も、それに到る一つの道ではあるが、それのみではならんぞ。
気つけ合ってよきに進んで下されよ。
これは恐らく一つの境地と云ふべきなのだらう
端的に云ふならば「無為自然」と云ふ事になるのではないかと思ってゐる
私らはどうも物質と精神を分割して考へがちであるやうで
其れが神示を判り辛くしてゐるのかもしれない
神示に於いて
天と地はアメツチとして一つである
身と魂も身魂として一つである
裏表ですら無く
全体を一つとして把握するのである
少し引用しておく
上十四
身魂とは神民の申す身魂でないぞ、
身たまとは身と魂と一つになってゐるもの云ふぞ、
…
身魂の洗濯とは心の洗濯とは、魂ばかりの洗濯でないぞ、よく気をつけて呉れ、
黒鉄二十二
自分で自分の心の中は中々につかめんものであらうがな。
…
掴むには身と魂と一つに和せねばならん。