神示を読む場合
自分に合はせて神示を読むのではなく
自分を神示に合はせて読むのがいいやうに思ふ

中心に自分があるのではなく
中心に神示を置くと云ふ読み方である



これはよく判って貰へないかもしれない…


下十七
自分ごころで説くと間違ふぞ。
神示通りに知らして呉れよ。
我を張ってはならぬぞ、
我がなくてもならぬぞ、
この道六ヶしいなれど縁ある人は勇んで出来るぞ。



つまり「我」と「神示」
どちらを優先するのかと云ふ話である
我を折って神示を優先出来ないならば
どれ程神示を読んで紹介しても
神示の道を進む事は難しいのかもしれない

これは
我が無ければいいと云ふ話ではない
神示に対して「我」を出さないでくれと云ふ話である


黄金四十八
神の御用と申してまだまだ自分の目的立てる用意してゐるぞ。
自分に自分がだまされんやうに致しくれよ。
自分の中に善の仮面を被った悪が住んでゐるに気つかんか。



自己欺瞞と云ふのは誰にでもあるもので…

神の御用とか
神示を広めるとか言ひつつ
単なる自己顕示欲に過ぎなかったりする
けれども本人は其れを認められない

言ひ訳
自己正当化
「われよし」とはさう云ふ事だらう



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