我(が)の強い人は非常に多い

何でもかんでも我でやるのが現代の流行りのやうだが
…と云ふよりもさう云ふやり方しか私らには判らないのかも知れないが

神示に於いて「我」の取扱ひは要点である
少しばかり引用してみる


日の出二十
此の方は力あり過ぎて失敗(しくじ)った神ざぞ、此の世かもう神でも我出すと失敗るのざぞ、
何(ど)んな力あったとて我出すまいぞ、此の方がよい手本(みせしめ)ぞ。
世界かもう此の方さへ我で失敗ったのぞ、執念(くど)い様なれど我出すなよ、
慢心と取違ひが一等気ざはりざぞ。



どのやうな分野であれ
どれほどの努力の結果であれ
仮に神のやうな才能に恵まれてゐたとしても
我を出すなよと神示は云ふ

我を出す事が慢心であり
慢心は取り違ひそのものになる
何の取り違ひかと云へば自分自身を取り違へるのである
自分自身を取り違へるならば
神から遠去かるのは必定である


ウミ十八
人民の我では通らん時となった位 判って居らうがな、
早よ我捨ててこの方について参れよ、

素直にいたせば楽に行けるのざぞ、大峠越せるのざぞ

我を折って神示を優先出来ないならば
どれ程神示を読んでも神示とは無縁なのかも知れない

とは云へ我がなければいいと云ふ訳でも無い

アメ十四
我(が)はぢっと奥に鎮めて表面(うわべ)には気(け)も出されんぞ、
我の無い様な事では、我で失敗(しくじ)た此の方の御用出来ないのざぞ、
毒にも薬にもならん人民 草木にかへしてしまふぞ。


我はなくてはならないが
間違っても表に出してはならない

我が無くて簡単に他人の言ひなりになるやうでは神示の御用は無理だが

とにかく我を剥き出しにしてはならない

さうして何はともあれ神示を読まねば始まらないが

天二十三
我がなくてはならん、我があってはならず、
よくこの神示(ふで)よめと申すのぞ。

ただし

日月一
我(が)出したら判らなくなるぞ

幾ら読んでも我を出したら判らなくなる

さうして私らには色々と執着があるから
思ひ通りに進まずとも焦る必要は無い

焦れば自己省察が疎かになり
我に足下を掬はれる事もあるだらう

日月十三
人間心で急ぐでないぞ。
我が出てくると失策(しくじ)るから我とわからん我あるから、今度は失策(しくじ)ること出来んから、ここと云ふ時には神が力つけるから急ぐでないぞ。
身魂磨き第一ぞ。

まぁ何はともあれ身魂を磨き続ける事である




IMG_6008