旧神仕組


詳細は過去記事にあるのですが
今迄は以上のやうに考へてをりました


現状を見るに明らかに何か取り違へてゐるやうにしか思へ無い

神仕組の前半にみよいづ(御代出)の仕組
半ばにミロクの仕組が来てゐるのは
一部の者らによる神代の型示しを意味するのかと思ってゐたのだが
現状に於いて未だ其の気配もない

どうやら人の仕組が遅すぎるのだ
ひふみの仕組がほゞほゞ何も出来てゐない

単に遅れてゐるだけなのかもしれんし
既に絶望的になったのかもしれんが
私が解釈を間違へた可能性の方が高いと思ひたい

其処で少し考へて見たのだが…

シチニの神とヤラワの神については何とも云へないが
思ふに神仕組の十年とひふみの仕組は一致してゐないのではないか
ではどうなるのかと云へば以下のやうに成る

ひふみの仕組改



以下参考にした帖と若干の考察

日の出二
九歳(とし)は神界の紀(もと)の年ぞ、神始めの年と申せよ。
一二三(ひふみ)、三四五(みよいづ)、五六七(みろく)ぞ、
五の歳は子の歳ざぞよ。
取違ひせん様にせよ。

わざわざ取り違ひするなよと記されてゐると云ふ事は
此処だけ読むと取り違へる可能性が高いと云ふ事だらう

日の出二十
十年先は、五六七(みろく)の世ざぞ

十年先がミロクの世…と云ふ事は
ひふみの仕組の五は神仕組の十年目にあたるのではないか
つまりひふみの仕組の一単位は年数にして二年になるのではないか

磐戸十六
子(ネ)の歳真中にして前後十年が正念場、
世の立替へは水と火とざぞ。
ひつじの三月三日、五月五日は結構な日ぞ。

これは神仕組の十年を示してゐるのだらう


下十四
一二三(ひふみ)の仕組とは、永遠(とは)に動かぬ道のことぞ、
三四五(みよいづ)の仕組とは、みよいづの仕組ぞ、御代出づとは神の御代になることぞ、
この世を神の國にねり上げることぞ、
神祀りたら三四五の御用にかかるから、その積りで用意して置いて呉れよ。

みよいづの仕組が此の世を神の國に練り上げることならば
さすがに三年と云ふのは短すぎるのではないか

既に2021年になってしまったわけですから
神の國への練り上げが始まってゐるわけですけれども


下三十四
戦すんでもすぐによき世とはならんぞ、それからが大切ぞ、胸突き八丁はそれからぞ、
富士に登るのにも、雲の上からが苦しいであろがな、
戦は雲のかかってゐるところぞ、頂上(いただき)までの正味のところはそれからぞ。
一、二、三年が正念場ぞ。
三四五(みよいづ)の仕組と申してあろがな。

正念場の一二三年の計六年が三四五(みよいづ)の仕組となる
一単位二年と考へれば2020年から2025年までが みよいづの仕組の六年となり
神仕組の十年から見てもその六年は正に正念場になるだらう

富士四
一二三(ひふみ)の仕組が済みたら三四五(みよいづ)の仕組ぞと申してありたが、世の本の仕組は三四五の仕組から五六七(みろく)の仕組となるのぞ、五六七の仕組とは弥勒(みろく)の仕組のことぞ、
獣と臣民とハッキリ判りたら、それぞれの本性出すのぞ

これは三四五(みよいづ)の仕組が神仕組の五六七から始まる事を示してゐるのかもしれないし
みよいづの時点でミロクの世の型が既に完成してゐる事を示すのかもしれない


天二十一
国毎に、一二三(ひふみ)、三四五(みよいづ)たりて百千万(ももちよろず)

三四五(みよいづ)たりて百千万(ももちよろず)
みよいづにおいて神仕組が完成することを示してゐるのではないか


まぁ判りませんけどね
現在が既に時代の一つの節目に入ってゐるのは確かな事のやうに思ひます



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