悪を憎み抹殺するのが善である…と云ふのが現代社会での共通理解なのだらうか

映画でも漫画でも
善と悪の闘争を主題にするものは多い
悪が善に寝返ったり

善が闇堕ちしたり
善のやうに見える悪だったり

悪のやうに見える善だったりするのはあるが
最終的に悪を憎み抹殺する構図は変はらないやうに思ふ

しかし神示は悪を憎むなと云ふ
殺すなと云ふ

日月十一
悪殺して終(しま)ふのではなく、悪改心さして、五六七(みろく)のうれしうれしの世にするのが神の願ひざから、この道理忘れるでないぞ。

マツリ五
邪はらふとは邪無くすることではないぞ、
邪を正しく導くことざぞ、
追払ふでないぞ、まつろへよ。
引寄せて抱き参らせよ、取違ひならん大切事ぞ。

ヒカリ六
悪い者殺してしまふて よい者ばかりにすれば、よき世が来るとでも思ふてゐるのか、肉体いくら殺しても魂迄は、人民の力では何うにもならんであろがな。
元の霊(たま)まで改心させねば、今度の岩戸開けんのぢゃぞ、元の霊(たま)に改心させず肉体ばかりで、目に見える世界ばかり、理屈でよくしようとて出来はせんぞ


唯物論的に目に見える世界だけの話で済むならば
悪は殺せ
殲滅せよ
其れが正論になるやうに思ふ
少なくとも論理的ではある
しかし其れではならんと神示は云ふ

もしかするとこの辺りが唯物論者が神示について行く限界なのかも知れない

カゼ十三
人の殺し合ひで此の世の建替出来ると思ふてゐるのも悪の守護神ざ。
肉体いくら滅ぼしても、よき世にならんぞ。
魂は鉄砲では殺せんのざぞ。魂はほかの肉体にうつりて、目的たてるのざぞ、いくら外国人殺しても、日本人殺しても、よき世は来ないぞ。

今迄のやり方、スクリかへて神の申す様にするよりほかに道ないのざ。


これは物質主義全盛の現代においてはおかしな話に思はれておしまひになってしひさうだが
いづれにしても憎む事自体は神の理に沿はない


そもそも神示の立場では悪は単にさう云ふ役割に過ぎないのだと云ふ

ソラ八
御苦労の御役であるから、悪憎むでないぞ、
憎むと善でなくなるぞ、
天地にごりて来るぞ、
世界一つに成った時は憎むこと先づさらりと捨てねばならんのぞ、
この道理 腹の底から判りて、ガッテンガッテンして下されよ。


憎む事は対象への凝り固まりであるから
貴方が何であれ凝り固まるならば
其れは対象への偏りであるから
貴方の世界(アメツチ)は一つにならない


…付け加へておくならば
此処では悪を主題にしてゐるから
悪を抱き参らせよとなるが
抱き参らされねばならないのは善もまた同じである

善も悪も大神の中に溶解せねば

融け消えねば
天地(アメツチ)は一つにならない

この点はいづれ別記事にしておきたい


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梅の季節も早々と過ぎ去り…