富士十三
『この神示よく読みてさへ居れば病気もなくなるぞ
さう云へば今の臣民
そんな馬鹿あるかと申すが よく察して見よ
必ず病も直るぞ
それは病人の心が綺麗になるからぞ

洗濯せよ掃除せよと申せば
臣民 何も分らんから あわててゐるが
この神示よむことが洗濯や掃除の初めで終りであるぞ
神は無理は言はんぞ
神の道は無理してないぞ
よくこの神示読んで呉れよ
よめばよむほど身魂みがかれるぞ
と申しても仕事をよそにしてはならんぞ
臣民と申すものは馬鹿正直ざから
神示よめと申せば神示ばかり読んだならよい様に思うてゐるが裏も表もあるのぞ』

まぁ確かに神示を読めば
身魂が磨かれ
心身共に病から回復する事もあるだらうが

正直な話
神示を読むだけで病が治ると云ふのは
大半の私らには無理だらう

神示を読むだけで身魂の掃除洗濯になるのは
生まれ赤子の心で読んだ場合だけであるから
生まれ赤子の心を去る事 数億光年の
殆どの私らには土台無理な話なやうに思ふ

神示の音読に効果があるのもやはり純粋な者らだけなのでは無いか

とは云へ読まねば真理から益々遠去かるばかりであるから読まねばならぬし
読んでも濁ってゐるから取り違へるばかりだし
現状はなかなかに厳しいと思はれる

結局神示を読む時に自分と云ふモノが残ってゐると
神示を自分の世界観に当て嵌めやうとしてしまふ
神示を細分化し歪めてしまふ

さうでは無くて逆に
自分を神示に当て嵌めると云ふか
(仮にではあるが)神示を絶対化して読むと云ふか
中心軸を神示に置くと云ふか
さう云ふ読み方をすれば或いは何とかなるのかもしれない

しかしまぁいづれにしても
一言一句逃さぬやうに
徹底的に丹念に読む事は絶対に必要だらう



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