地十七
『まことの善は悪に似てゐるぞ
まことの悪は善に似てゐるぞ
よく見分けなならんぞ
悪の大将は光り輝いて見えるものぞ
悪人はおとなしく見えるものぞ』

善も悪も偽る事が出来る
外見や上面だけの言葉
演出された雰囲気
偽の救世主に騙されぬやう気を付けねばならない

上十八‬
‪『臣民の心の鏡凹(くぼ)んでゐるから‬
‪よきことわるく映り‬
‪わるきことよく映るぞ‬』

‪私らは善悪を取り違へてすぐに騙される


しかしそもそも善悪とは何だらう
マコトの善悪と云ふならマコトでは無い善悪があるのだらう

人の善悪
神の善悪
まぁ人の善悪は時空間に左右されるからマコトの善悪とは云へぬだらう
一方神の善悪は絶対的なものだと云ひ得るが
其れは人の思ふやうな善悪とは全く違ふやうな気がする
だから勿論悪を罰するとか滅するとかさう云ふ事はない


磐戸十八
『悪と思ふことに善あり善と思ふ事も悪多いと知らしてあろがな
このことよく心得ておけよ
悪の世になってゐるのざから
マコトの神さへ悪に巻込まれて御座る程
知らず知らずに悪になりてゐるのざから』

自明だと云はずに善悪を徹底的に考へてみればいいのではなからうか
何故善で何故悪なのかと
そもそも善悪とは何なのかと


黄金十一‬
‪『善も仮ぞ‬
‪悪も仮ぞ‬
‪よく心得なされよ‬』

人の善悪は本質的に仮である
だからこれは人の善悪に限定して考へた方が良いだらう

まぁ確かに神の善悪は人の善悪とは異なるから其れを善悪と呼び得るのか微妙な気もする
神の絶対的な秩序の一面を仮に善悪と呼ぶ事も出来ると云ふ意味では神の善悪もまた仮だと云ふ解釈は成立するだらう
但しこの場合は人の善悪が仮だと云ふのとは全く異なる解釈になる


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