日月三五
『手柄立てようと思ふなよ
勝たうと思ふなよ
生きるも死ぬも神の心のままぞ
…
火降りても槍降りてもびくともせんぞ』
誰しも手柄は立てたいもの
争ひ事では勝ちたいもの
しかし其れに固執してはならない
無論神示は勝利や手柄を禁止してゐるわけでは無い
其れらは淡々と為すべき事を為した結果として転がり込んで来るかも知れないが
何処か他所へ転がって行ったとしても其れもまた神の心
私らがとやかく云ふ事では無い
場合によっては固執するほどに遠去かる事もあるだらう
ウメ十一
『死ぬ時は死んだがよく
『死ぬ時は死んだがよく
遊ぶ時には遊べ遊べ
嬉し嬉しざぞ。』
月光四十
『冬になったら冬ごもりぞ
死ぬ時には死ぬのが弥栄ぞ
遊ぶ時は遊ぶがよいぞ』
時節に則った存在の仕方
道を知らねば不可能な在り方
実際なかなかさう泰然自若としてもゐられない
大抵の私らはやはり生を望み死を忌避するだらうから
神示の道は簡単ではあるのだらうが
自意識の強固な私らには遠い道なのかも知れない
生きる時には生き
遊ぶ時には遊び
死ぬ時には死ぬ
結局のところ
日月五
『死も無く生も無いのぞ
神心あるのみぞ』
神示の極致
さう簡単には届かぬだらう