日月神示の私の解釈が正しいなどと云ふ保証は何処にもないから
どうでもいい話なのかもしれないが


富士五
『神の臣民、掃除洗濯出来たらこの戦は勝つのぞ、
今は一分もないぞ、一厘もないぞ、
これで神国の民と申して威張ってゐるが、
足許からビックリ箱があいて、四ツん這ひになっても助からぬことになるぞ』

ウミ九
も少し人民に判りて来んと、
今びっくり箱をあけたら助かる人民一分もないぞ

結局今の私らの大半は神示から遠い所にゐる
神示の許容範囲内にゐる人間は100人に10人もゐない
もしかしたら100人に1人もゐないかもしれない
日本の人口約一億二千万人とすると1200万人以下
最悪120万人以下…それでも結構ゐるやうな気がしなくもないが

黄金七十四
神の仕組の判る人民二三分出来たら、いよいよにかかるぞ。
未だ未だ改心足らん。神せけるぞ。』



現状の私らは身魂磨きも改心も全然足りない…
神の仕組が判る…と云ふ事は神示の概要が判る…と云ふ事だと思ふが
このままで果たして二分三分も出来るのかどうか
100人中20人だか30人だか…

現状を見る限りは(私見によるならば)この数字は有り得ないだらう
それほどの人数が日月神示を理解するなど有り得ないだらう
其れこそ何か奇跡的な神の恩寵のやうな事象でも起きぬ限りは

思ふに…其の恩寵が「天の岩戸開き」なのではないかと私なんかは愚考するのだが
それで神の仕組の判る人民が二分三分出来る
霊主物従を意識の根幹に置く者たちが二分三分出来る
さうしてその後の「いよいよにかかる」と云ふのが「地の岩戸開き」なのではないかと

勿論身魂が磨けてゐないと
身魂の掃除洗濯が出来てゐないと神の恩寵は受け取れない
つまりその者から見るならば天の岩戸は開かずに今まで通りの物主霊従の世界が続く

与へられてもね…頑なな意識だと条件反射的に拒絶してしまふやうな気がする

私が神示を読む限りはそのやうに解釈できるのだがしかし

しかし果たしてそのやうな「恩寵」が有り得るのだらうか
唯物論者でなくともこの物質界の物質の恒常性継続性に慣れ親しんだ私らにはさう云ふ奇跡はなかなかに受け入れ難いわけですが…

此処でふと思ひ出したのが聖書の次の一節である

マタイ第24章27節
『電光の東より出でて西にまで閃きわたる如く、人の子の來るも亦然らん。』

人の子…神の使者…真の救世主なるものは
稲妻が東から西へと一瞬にして閃き渡るやうにして訪れる

これはどうも「天の岩戸開き」を聖書的に記述した箇所だと私には思はれるのだが
此処で云ふ「人の子」(救世主)なるものは(例へば私らのやうな)ヒト型の独立した個別存在者ではなく一つの事象一つの大規模な現象の例へなのではないか

その現象は全世界規模でほぼ同時に生起するために「電光の東より出でて西にまで閃きわたる如く」と形容されてゐるのではないか

例へば地球と云ふ惑星自体が今までとは異なる意識の領域に入るやうな



しかしまぁ日月神示と聖書の共通解釈が成立したところで
それが実際に起きるのかどうかは別問題ではある

ただもしも仮に万が一そのやうな現象が起きるとするならば
2020年…来年の八月上旬と云ふのが私の解釈ではあるが
ただの解釈なので信じる必要は全くない

実際その日に奇跡があらうとなからうと身魂の掃除洗濯が出来てゐるならばどうでもいい話なのだらう

と云ふ事はつまりこの記事自体がどうでもいい話ではあるのだらう




FYZM2956
夕陽に染まる槍ヶ岳

ちと赤過ぎますかね
画像編集し過ぎたかもしれん