下一
『この道(おしへ)は宗教(をしへ)ではないぞ、教会ではないぞ、
道ざから、今までの様な教会作らせんぞ。
道とは臣民に神が満ちることぞ、神の国の中に神がみちみつることぞ。』


日月神示は宗教ではなく学問ではなく「道」である
「臣民に神が満ちること」である
私ら一人ひとりに神が満ちることである

従って日月神示を前提にするならば
外的な変革は(少なくともそれだけでは)全く何の意味もない
(外的な変革とは選挙や制度改革や革命や戦争等だが天災も含めていいかもしれない)

一人ひとりの内的な変革が必要不可欠である
一人ひとりが神に接続する必要がある
自分はこれでいい…変はら無くていい…と本気で信じ込んでゐるならば神示とは無縁なのだらう

世間では自己肯定が推奨されてゐるやうな印象を受けるのだが
もしそれが自分を肯定してそれで良しとするだけならば
それは違ふだらう
と云って(当たり前だが)自己否定のままに凝り固まってしまふのも神示の道ではない

思ふに自分を肯定するとか否定するとか大した問題ではない
どうでもいい話だ

要は自己肯定であれ自己否定であれ凝り固まるのが問題なのだと思はれる
いくら自分を肯定したところでそれで凝り固まってしまへば
(神示的には)論外でありおしまひである

必要なのは自己肯定でも自己否定でもなく
自己更新なのだらうと思ふ

変はり往き流れ往くことが此の世の理である
自分を否定したり肯定したりして一喜一憂してゐるヒマなどあるまい




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