「私らは何処から来て何処へ往くのか?」此の問ひに私が答へるとどうなるだらうかとふと思ったので考へてみた私見によるならば此の問ひには二つの答…表層的な答と深層的な答…を用意出来るだらう先づ表層的な答問:「私らは何処から来て何処へ往くのか?」答:「私らは神か ...
二〇一九年霜月
大きものは一目では判らん。
黄金六十九『心得なされよ。何も彼も存在許されてゐるものは、それだけの用あるからぞ。近目で見るから、善ぢゃ悪ぢゃと騒ぎ廻るのぞ。大き一神を信ずるまでには、部分的多神から入るのが近道。大きものは一目では判らん。』「存在してゐる事象は全てそれだけの役目がある… ...
神の仕組の判る人民二三分出来たら…
日月神示の私の解釈が正しいなどと云ふ保証は何処にもないからどうでもいい話なのかもしれないが富士五『神の臣民、掃除洗濯出来たらこの戦は勝つのぞ、今は一分もないぞ、一厘もないぞ、これで神国の民と申して威張ってゐるが、足許からビックリ箱があいて、四ツん這ひにな ...
小さいこと思うてゐると見当とれんことになるぞ
黄金二『今迄の日本の宗教は日本だけの宗教、このたびは世界のもとの、三千世界の大道ぞ。教でないぞ。』日月神示は宗教ではないし哲学でもないただ判りやすいやうに宗教の形を借りることもあるし哲学の形を借りることもあるが(人に依ってはそのやうに読めるかもしれないが ...
この道(おしへ)は宗教(をしへ)ではないぞ
下一『この道(おしへ)は宗教(をしへ)ではないぞ、教会ではないぞ、道ざから、今までの様な教会作らせんぞ。道とは臣民に神が満ちることぞ、神の国の中に神がみちみつることぞ。』日月神示は宗教ではなく学問ではなく「道」である「臣民に神が満ちること」である私ら一人 ...