日月模様 ~日月神示を読みませう~

日月神示の研究とまとめの中間報告及び「道」に関する記述など    (※写真は全て管理人が撮影したものです)

二〇一八年霜月

日月神示的に現状の私らはどう云ふ事になってゐるのか上十九『掃除すれば誰にでも神かかるやうに、日本の臣民なりて居るぞ、神州清潔の民とは掃除してキレイになった臣民のことぞ。』日月三十九『日本の臣民は何事も見えすく身魂授けてあるのざぞ、神の御子ざぞ。掃除すれば ...

漠然とした印象として人は神を上に見る確かに日月神示にもかうある日の出十三『道は真すぐに、神は真上に戴くのが神国のまことの御道であるぞ。』だから上に見るのは自然な事だとしても(其れが単なる空想妄想の類だとしても)其処から上から目線で地上の私ら人間を裁き罰し ...

地三十五『日本の国はこの方の肉体であるぞ。国土おろがめと申してあらうがな』此の方と云ふのは国之常立神(くにのとこたちのかみ)の事だらうかこれがどう云ふ意図に基づき記された事なのかは判らないがそのやうに考へれば神を知らぬ私らでも神と云ふモノが少しは判るかも ...

現代文明において学問は重要な位置を占めてゐる知や学は形而上的な資産とも云へるしかし神示はこの形而上的資産に対して否定的である富士十八『神にまつはらずに、臣民の学や知恵が何になるのか、底知れてゐるのでないか。』とは云へ完全に否定してきってゐるわけではない天 ...

日月神示に頻出する『二二』の読み方について日月神示の原典を確認したわけではないので確かな話ではないのだが「ひふみ神示」と「完訳日月神示」との比較から推測した点も含めて少し考へるまづ『二二』は『富士』と読まれることが多いこれは地理上の富士山若しくは富士山を ...

「所有」と云ふ観念を今一度考へてみた尤も自我(自己の外に作られた自己イメージ)への自己同一化があまりにも強固であるならばつまり我(が)があまりにも頑強であるならばこの話は全く通じないかもしれない所有とは事実ではない内なる観念に過ぎない(仮)である…と云へ ...

生れる前の赤子から百を過ぎた老人まで物質的身体としての人は必ず死ぬるわけだがにも拘らず私らは意識の中から死を遠ざけ過ぎてゐるやうに見える死とは何だらうかダンテス・ダイジは云ふ『客観的な死と自分自身の現実的な死を混同するなかれ。他者の死に、自我のイメージを ...

日月神示には「一つの王」と云ふ言葉が幾度か記されてゐる天十六『今度の戦済みたら てんし様が世界中知ろしめして、外国には王はなくなるのざぞ。』ヒカリ七『メリカ、キリスも、オロシヤも、世界一つに丸めて一つの王で治めるのぢゃぞ』黄金七十七『審判の廷(サバキのニワ) ...

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