日月模様 ~日月神示を読みませう~

日月神示の研究とまとめの中間報告及び「道」に関する記述など    (※写真は全て管理人が撮影したものです)

出づ道は二つ、一はひらく道、二は極む道、
道出で世に満つ、ゑらぎゑらぐ世ぞ。
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繰り返しのやうな記事もありますがあしからず
すべては私見に過ぎません

地一四後悔は要らぬのざぞ。とは云へ此れは一般論で日月神示に於いては後悔しないやうに氣を付けるべき注意事項が存在する富士二この神示(ふで)腹の中に入れて置いてくれと申すに、言ふ事きく臣民少ないが、今に後悔するのが、よく分りてゐるから神はくどう気つけて置くの ...

後悔とは何だらう其れは選択の間違ひなのだらうかしかし何を選択した處で人は何処からでも何からでも学べるものであるから選択の間違ひと言ふほどの物でも無いのかもしれないもしも選択の間違ひと云ふものがあるとするならば後悔の有無に関はらず其れは「学ば無い」事なの ...

天國の政治とはジシン十九天国の政治は、歓喜の政治である。故に、戒律はない。戒律の存在する処は、地獄的段階の低い陰の世界であることを知らねばならない。天国の政治は、愛の政治である。政治する政治ではない。より内奥の、より浄化されたる愛そのものからなされる。故 ...

黒鉄二十七神は人間の想念の中に入ってゐるのぢゃ。想念が一致するから神の想念が人間に伝はるのぞ。人間の言葉となって人間に現はれる。言は神であるが人間でもあるぞ。自分が自分に語るのであるぞ。この道理、よく心得なされよ。神の想念と人の想念が一致しなければ神の言 ...

時間はまだあるのだらうかと言へば本来時間など無い今此処あるのみと返されさうだが大抵の私らは未だ時間の中に住んでゐるので時間を前提にしようさて残余時間は知らないが神示信奉者は何を為すべきか・身魂の掃除洗濯何事であれ慢心取り違ひに氣を付ける事言葉に氣を付ける ...

過去記事にもあると思ひますが大事な事のやうなので「言(ことば)」について少々此処では少し広く考へて口先の言葉だけでは無く言葉の元となる思考や想念を含めてもいいやうに思ひます言(言葉/言波)を思考(想念)に置き換へても通用するでせうから磐戸十五わるき言葉、 ...

前記事の補足的な…下二十一神の最後の仕組と申すのは〇に・入れること………一厘の仕組とは〇に神の国の・を入れることつまり「〇」である一人一人が「・」を得て「☉」になる事其れは善人だらうと惡人だらうと同じである今の世では善人も惡人も皆「・」が無い無い…と言ふ ...

夏十三ウの中心はム、ムの廻りはウであるぞ。中心は無限、周辺は有限であること知れよ。これは神示の中枢を示す重要事項だと思ふのだね〇の中心は・・の廻りは〇であるぞ(即ち「☉」)・は無限〇は有限であること知れよ碧玉六中心は無と申してあろう。中心は見えんから、判 ...

碧玉七始めの日は始めの日に過ぎん、始めの前にあるものが判らなければ、それは只の理屈に過ぎんぞ、マコトでないぞ、根から出たものではない、枝葉に過ぎん禅の公案父母未生以前の本来の面目とは何ぞ一切の前提を取っ払った時に残るものとは何かa priori なもの無前提なるも ...

一遍上人語録『華を愛し月を詠ずるやゝもすれば輪廻の業仏をおもひ経をおもふともすれば地獄の焔たゞ一心の本源は自然(じねん)に無念なり無念の作用は真に法界を縁ず』真正の経典を読んだ所で一歩踏み間違へれば輪廻の業となるどれ程の信仰でも取り違へるなら『虚無(こむ ...

理屈屁理屈詭弁枝葉末節への固執針小棒大自己正当化の口舌論理と云ふものも仮ではあるが其れは論理ですら無い確かに超短絡的な論理と云ふならば論理ではあるのかもしれ無いがいづれにしてもあゝ言へばかう言ふ連中を相手にするのは本当に草臥れるので真面に相手にしないのが ...

夜明け三天の異変 気付けと申してあろが、冬の次が春とは限らんと申してあろが。夏 雪降ることもあるのざぞ。神が降らすのでないぞ、人民 降らすのざぞ。人民の邪気が凝りて、天にも地にも、わけの判らん虫わくぞ。訳の判らん病ひどくなって来るのざから、書かしてある御神名 ...

神の子とか(語源的な本来の意味での)現人神(あらひとがみ)とか神の化身とか汎神論的には結局誰もがさうだから特別な事は何一つ無い取り立てて言ふのも愚かな話ださうして「私だけが!」とか「もしかして自分は!」とか言ふのも頓珍漢な話なのである滑稽な話なのである「 ...

春二十六神にまかせきると申しても、それは自分で最善をつくして後のことぢゃ。努力なしにまかせるのは悪まかせぢゃ。悪おまかせ多いのう。魂の財産は金を得るより数倍六ヶ敷いぞ。ぬれ手で粟のやり方、カスつかむぞ。黒鉄六只有難いだけではならん。仕事せねばならん。努力 ...

月光二十六現状を足場として進まねばならん。現在のそなたのおかれてゐた環境は、そなたがつくり上げたものでないか。山の彼方に理想郷があるのではないぞ。そなたはそなたの足場から出発せねばならん。よしそれが地獄に見えようとも、現在に於てはそれが出発点。それより他 ...

黄金八十七宿命と運命は同じでない。春三十三宿命は宿されたもの。一つのワクに入ってゐるのであるぞ。運命は自分で切りひらくこと出来るぞ。磨け磨け、ミタマ磨き結構。信念だけでは行き詰るぞ。黒鉄二十九運命は自由自在のものではあるが、又強ひるものでもあるぞ。大きく ...

青葉十五世の建替と申すのは、身魂の建替へざから取違ひせん様致されよ、ミタマとは身と霊(たま)であるぞ、今の学ある人民 ミばかりで建替へするつもりでゐるから、タマが判らんから、いくらあせっても汗流しても建替へ出来んのざぞ。天地(あめつち)の秋(とき)来てゐる ...

私らは私らの世界観を構成してゐる根本的な観念を考へ直した方がいいのかもしれない具体的には譬へば生きる事と死ぬ事譬へば善と惡日月神示を見てみませう地七神にまつらふ者には生も死もないのぞ、日月三十五生きるも死ぬるも神の心のままざぞ。黄金十一善もかりぞ。悪もか ...

私らの考へる世界的な変動経済崩壊世界大戰天災地変しかし磐戸開きは其れらだけでは済まないのだと云ふ磐戸七人民のイクサや天災ばかりで、今度の岩戸ひらくと思ふてゐたら大きな間違ひざぞ、戦や天災でラチあく様なチョロコイことでないぞ、あいた口ふさがらんことになりて ...

ダンテス・ダイジ「アメジスト・タブレット・プロローグ」より『この世の人間にとって、最も重要なことは、思考の停止などによって引き起こされる、神秘的な何者かを知ることにあるのではない。現実として、神秘そのものとしてあり続けている、そのこと自体にある。』譬へば ...

日月神示では身魂の掃除洗濯同様に改心も重視されてゐる上三十九改心すれば分りて来るぞ、改心第一ぞ、早く改心第一ざ。下三十六国々の神さま、臣民さま改心第一ぞ。松二十八人民の学や智ばかりで何が出来たか。早よ改心第一ぞ。・・・学や智捨てて天にむかへ。地にむかへ、 ...

生とは何か死とは何か私には未だに判らない日月神示から生と死を引用してみる梅十一死ぬ時は死んだがよく、遊ぶ時には遊べ遊べ、嬉し嬉しざぞ。月光四十冬になったら冬ごもりぞ。死ぬ時には死ぬのが弥栄ぞ。遊ぶ時は遊ぶがよいぞ。生きる時節死ぬ時節全ては定まってゐるのだ ...

一遍上人語録『魔に付(つき)て順魔・逆魔のふたつあり。行者の心に順じて魔となるあり、行者の違乱となりて魔となるあり。二つの中には順魔がなほ大事の魔なり。妻子等是なり。』逆魔は分かり易い逆境で人は学ぶ事が多いと云ふのもすぐに氣付き得るから逆境 否定 失敗  ...

何かを得たり失ったり兎角私らは忙しいのだが神示にはかうある日月二十七まだまだ天地へ取上げるぞ。日々取上げてゐる事わからんか。思ふに今後は何かを得るよりも失って行く事の方が多さうだが悲観するには当たらない雨十六此の世の物 一切 神の物と云ふ事まだ判らんのか、 ...

アトランテス文明の存在と滅亡について誤解してゐる人は多いかもしれない(此処でアトランテス文明について議論するつもりは毛頭無いので存在を否定ようとどう定義しようと人それぞれにしてくれればいいが私はダイジ師に從ふだけである詳細は「アメジスト・タブレット・プロ ...

日月神示は身魂の掃除洗濯を勧めてゐる上一己の心を見よ、戦が済んでいないであろ、それで戦が済むと思うてゐるとは、あきれたものぞ、早く掃除せぬと間に合わん、何より掃除が第一。上十八身魂みがき第一ぞ。…早う身魂洗濯せよ富士五早く身魂みがいて下されよ。富士七戦恐 ...

ダンテス・ダイジ『堕落と管理化は、同じものであり、これが進行すると、本当の恋愛も、本当の一家団らんも、本当の遊びも、本当の仕事も、本当の芸術も、本当の冥想も、つまり、あらゆる幸福は消え去ってしまうであろう。』「堕落と管理化は同じ」管理化即ち自己責任の放棄 ...

春十三自分はよいが、世の中が悪いのぢゃと申しているが、その自分省みよ。自分が神の理(ミチ)にあり、真実であるならば、世の中は悪くないぞ。輝いているぞ。自分にふりかかって来る一切のものは最善のものと思へ。如何なる悪いことも それは最善のものであるぞ。この道理 ...

雨十六何んな事あっても不足申すでないぞ、不足悪ざぞ、皆 人民の気からぞと くどう申してあろがな、人民キから起って来たのざぞ、我の難儀、我が作るのざぞ、我恨むより方法(ほか)ないぞ、・・・此の世の物 一切 神の物と云ふ事まだ判らんのか、一切取り上げられてから成 ...

神示は慢心取り違ひに氣を付けよと繰り返し云ふ富士二十二この御道は鼻高と取りちがひが一番邪魔になるのぞと申すのは、慢心と取りちがひは調和(まつり)の邪魔になるからぞ。日の出二十執念(くど)い様なれど我出すなよ、慢心と取違ひが一等気ざはりざぞ。梅十慢心取違ひ ...

さて…神示にはかうある極十三人民は神の中にゐるのであるから、いくら頑張っても神の外には出られん。死んでも神の中にゐるのぞ、夏七神も人間も同じであると申してあろう。同じであるが違ふと申してあろう。それは大神の中に神を生み、神の中に人民生んだためぞ。黄金三神 ...

前記事にて十牛図は縦の構図(垂直軸)貧富貴賤は横の構図(水平軸)と云ふやうに書いたが(私見に過ぎぬが)この点少しまとめておかうかと思ふ過去にも書いたかもしれないが神示の理解に於いて重要だと思はれる縦(経)とは「・」「 | 」神 天 火 霊魂 愛聖性 精神性  ...

私見に過ぎぬが今の世とミロクの世結局何が違ふのか機序機構は全く異なるかもしれないし大して違はないかもしれない人が何かを為す事には変はらない見た目は大して違はない可能性もあるでは本質的に何が違ふのかと言へば人の意識状態だらう十牛図で示すのが判り易いのかもし ...

一遍上人語録より『自力の時、我執憍慢(がしゅうきょうまん)の心はおこるなり。其(その)ゆゑは、わがよく意得(こころえ)、わがよく行じて生死を離るべしとおもふ故に、智恵もすゝみ行もすゝめば、我ほどの智者、われ程の行者はあるまじとおもひて、身をあげ人をくだす ...

救急車の出動率等々…時事情報を眺めて色々思ひはしますが判断は人それぞれなので神示の引用に留めておきます地十六今に病神(やまいがみ)の仕組にかかりてゐる臣民苦しむ時近づいたぞ、病はやるぞ、この病は見当とれん病ぞ、病になりてゐても、人も分らねばわれも分らん病 ...

日月神示を十牛図に託してみようさて神示との出会ひは人それぞれであるが…第一図 尋牛(じんぎゅう)自分が本来の在り方をしてゐ無い事に氣付く今の自分今の社会何かがおかしい何かが足りない(本当は足りないのでは無く色々とあまりにも多過ぎるだけなのだが…)第二図  ...

三十年の神仕組年表色々と次から次へと書き足して現状はかうなりました下二十てんし様の光が世界の隅々まで行きわたる仕組が三四五(みよいづ)の仕組ぞ、岩戸開きぞ。下三十四一、二、三年が正念場ぞ。三四五(みよいづ)の仕組と申してあろがな。一 二 三年の正念場→ミヨ ...

一遍上人語録「「心の外に法を見るを名づけて外道とす」といふこと、心の外に境を置(おき)て、念をおこすを迷(まよひ)といふなり。境を滅して独一なる本分の心は妄念なし。心境各別にして、ふたつとおもひしより、生死には流転するなり。これに種々のたとへあり」と日々 ...

一遍上人語録はやや悲観的過ぎるやうに思はなくも無いが日月神示信奉者にとって役に立つのかどうか私見によるなら非常に有効かと思はれると言ふのも一遍上人語録は「南無阿弥陀仏」への帰依を記してゐるがこれを譬へば「ひふみ祝詞」に置き換へてみればいい「天津祝詞」でも ...

氣を付けてゐてもつひつひうっかり出してしまひがちなのが「我」であるが「我」を出すなと神示は云ふ日月一我(が)出したら判らなくなるぞ我を出すと神示の本意を見落とす日常の人間関係でも我を出すと判らなくなる水十一 いくら我張りても我では通らんぞ。我折りて素直に ...

氣五この神示は心通りにうつるのざぞ、思ひ違ふといくら神示読んでも違ふことになるぞ、心違ふと今度はどんなに偉い神でも人でも気の毒出来るぞ、此の神示は読む人の心を反映するやうだだから神示を読んでゐるからと言って話が合ふとは限らない取り違ひは何処迄も取り違ひで ...

日月の巻より氣になる言葉を幾つか日月九 何事も持ちつ持たれつであるぞ。神ばかりではならず、人ばかりではならずと申してあろが、・・・此のお道は、あなないの道ぞ、上ばかりよい道でも、下ばかりよい道でもないのざぞ。何事も持ちつ持たれつならば肯定的であれ否定的で ...

岩十一人となりても、神の申す事ならば、ついて来る者が誠の者ざぞ、誠の者少しでも今度の仕組は成就するのざぞ、人は沢山には要らんのざぞ。信者引張ってくれるなよ。道は伝へて下されと申してあらうがな。日月十二百人千人万人の人が善いと申しても悪い事あるぞ。一人の人 ...

どうも今年もよろしく良き年…となりますかねさう云へば今年は辰年でしたっけ甲辰(きのえたつ)令和六年西暦2024年皇紀二千六百八十四年磐戸九辰の年はよき年となりてゐるのざぞしかし神示のこの辰の年は残念ながら今年では無く現時点での私見によるならば…24年後の西暦204 ...

甚だ不完全ながらも禅の十牛図についてまとめてみた↓↓↓http://hifumi22.blog.jp/archives/cat_413067.html?order=asc興味のある方は是非…まぁ何と云ふか興味のある方はあまり或いは殆どゐ無いのかもしれませんけれども ...

建て替へ建て直しには外なる戒律から内なる秩序への移行と云ふ意味があるのだらう聖俗共に人為による外的な枷からの脱却が求められる一人一人が十全に成れば戒律も法律も裁判も要らない碧玉一低い世界は戒律なくてはならんぞ、人民の頭で、戒律と秩序、法則をゴッチャにして ...

黄金三神は神の中に、宇宙を生み給うたのであるぞ この観点は重要なのかも知れないが私らの視野ではなかなか難しいのかも知れない冬一総ては大宇宙の中にあり、その大宇宙である大神の中に、大神が生み給ふたのであるぞ。このことよくわきまへて下されよ。善のこと悪のこと ...

磐戸十六世の立替へは水と火とざぞ。私見によるなら神示に於いて水は水平次元の象徴物質性 世俗性 身体 認識対象形而下 時空間等を意味する火は垂直次元の象徴精神性 神聖性 霊魂 認識主体形而上 超時空間等を意味する「世の立替へは水と火とざぞ。」つまり建替へは ...

秋一三十年で世の立替いたすぞ。立替へと建替へ私は同義と見てゐるが建替へと建直しとは何か神示にはかうある水十二建替と申すのは、神界、幽界、顕界にある今までの事をきれいに塵一つ残らぬ様に洗濯することざぞ。今度と云ふ今度は何処までもきれいさっぱりと建替するのざ ...

氣八タテコワシ、タテナホシ、一度になるぞ、建直しの世直し早うなるも知れんぞ、遅れるでないぞ。建直し急ぐぞ、建直しとは元の世に、神の世に返す事ざぞ、極め十一陽(ひ)あたりのことと、陽かげのことと一時に出て来るのぢゃ、タテコワシとタテナホシが一時にくるのぢゃ ...

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